文学のなかの薔薇U  

詩にうたわれた薔薇をご紹介します。

 T.ロンサールとリルケ

薔薇をうたった詩人の代表としては、ゲーテ、ライナー・マリア・リルケ、ピエール・ド・ロンサールでしょう。

 ばらは神々の香り 
 ばらは乙女のほこり
  (井上究一郎訳 岩波文庫)
とうたったのは、フランスのロンサールです。

 恋人よ、見にゆかん、
 花薔薇(はなそうび)、けさ紅(あけ)に
 陽に解けし その衣、
 くれないの 重なりも、
 きみに似し頬のいろも、
 失せたりな、今宵いま

「カッサンドルへのオード」で花のいのちの短さを惜しんだあと、
この詩人は、「 されば わが恋人よ」と呼びかけます。

 われを信じたまわば、
 咲き匂う その齢に、
 摘め、摘め、きみの若さを。

       (井上究一郎訳 岩波文庫) 
薔薇の美しさと儚さを、少女に重ね合わせる、それがこの詩人の視点です。ロンサールは、いまでは詩人
としてより、薔薇の名前として親しまれています。

薔薇の神秘的な美を凝視したのが、リルケでしょう。
「リルケ詩集」(富士川英郎訳 新潮文庫)には、ふたつの詩がおさめられています。

 何処にこの内部に対する 
 外部があるのだろう? どんな痛みのうえに 
 このような麻布があてられるのか?
 この憂いなく 
 ひらいた薔薇の 
 内湖に映っているのは 
 どの空なのだろう? 見よ
 どんなに薔薇が咲きこぼれ 
 ほぐれているかを ふるえる手さえ 
 それを散りこぼすことができないかのよう
 薔薇にはほとんど自分が
 支えきれないのだ その多くの花は 
 みちあふれ
 内部の世界から 
 外部へとあふれでている
 そして外部はますますみちみちて 圏を閉じ
 ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
 夢のなかのひとつの部屋になるのだ
                   「薔薇の内部」 


 薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
 このようにおびただしい瞼の奥で なにびとの眠りでもない
 という

                    「薔薇 おお 純粋な矛盾」 

「薔薇にはほとんど自分が 支えきれないのだ その多くの花は 
みちあふれ 内部の世界から 外部へとあふれでている」

 これほど、薔薇を讃えたことばはないでしょう。
  1926年、指に刺さった薔薇の棘が原因で急性白血病になり、51歳で死去たといわれるリルケの
墓碑には、薔薇 おお 純粋な矛盾…という詩が刻まれています。
 ロンサールをはじめ、ミケランジェロ、ダビンチ、バルザック、ニコロ・パガニーニ、そしてイヴ・ピアジェ、
芸術家の名を冠した薔薇はたくさんあります。

 オースチン氏もイングリッシュ・ローズに詩人チョーサーやシェイクスピアの名を冠しけているほか、
フェア・ビアンカ、ダーク・レディなど、シェイクスピアの作品の登場人物からも、名をいただいています。
 けれど、残念ながら、ゲーテやライナー・マリア・リルケという薔薇はありません。あるいは、国民性
の違いかもしれません。
 いつか、どなたかに、リルケの名を冠した薔薇をつくっていただきたい、
そう思います。